マイコンのお話

「そのうちに、家に一つコンピューターがあるようになる」、「そーんなアホな。はっはっは」。70年代初め頃の、私と友達の会話です。ご想像の通り、後の意見が私です。hi,hi。

ワープロ、パソコンという言葉も存在しない時代です。コンピューターといえば、アポロ宇宙船のニュースで耳にしたり、大学などのコンピューターセンターとして巨大なものを目にする程度、或いは山ほどのICを使って作った、テレビ台やたんすほどもあるサイズで、可愛らしい容量しかないマイコン(またはミニコン)を時に見かける程度でした。

<夢のマイコン制御>

前述の友人は、この頃からマイコン技術に走り、大変に詳しくなりました。 で、私は落ちこぼれました。hi,hi。

時代は下り80年代半ば、私も送信機の中でVFOを制御するために、マイコンを使う必要を感じてきました。さすがの真空管ファン(何せ21世紀、令和時代の今も現役の真空管ユーザーです)の私も、VFOはデジタルになっていたのです。

左の写真は9MHz台のVFOの心臓部です。5つのPLL回路にデジタル情報を送って、周波数を変えて行く必要があるのです。これを制御するユニットを従来のデジタルICで作ると、このボード2層分のサイズになりました。



ところが、マイコン制御を使えば、その2層分(以上の機能)が、はがき大のユニットで出来るというのです・・・・。う~ん。何とか私も使いたい。


<まずは勉強>

まず、マイコンボードを1枚、日本橋で買ってきました。確かにはがき大です。
写真左

「ROMは、要らんの?」と聞かれ、「う~ん? やっぱり要るの?」
全くかみ合っていない、hi,hi。

家でつくづく眺め、「何と端子が多いなぁ。どこへ何を繋げばいいんだろう」。取扱説明書を見ても、ちんぷんかんぷん。「信号のやり取りは?」と思ってICの説明書を見ると、上向きの台形や下向きの台形が沢山、何やら小さな字で訳のわからないことが一杯書いてあります。
という訳で手も足も出ませんでした。

これは勉強が足りないと思い、「マイコン制御」なる本を買って、勉強しました。
色々な考え方が判りましたが、要するに、どういう風に制御対象をつないで、どうすれば動かす事が出来るかが、さっぱり判りませんでした。つまり、「どこかにつないだ、例えばランプを、どうすれば光らせる事が出来るか」が判らないのです。

恐らくこれは、理論を教える本だったようで、何回か読み返しましたが、どうにもすりガラスのめがねをかけているような気分で、わからない勉強をいやいやする如く、能率が上がりませんでした。学生の頃を思い出しました。hi,hi.埒があかないので、今度は「製作」という言葉のついた本を選んで、2冊ほど読みました。
これで若干判ったような気がしてきました。
やはり、頭ではなく、手に近い話の方が判り良いようです、hi,hi。

本には、「理解するためには、まず1台作るのが良い」とあります。「おいおい、そう簡単に言うなよ」。マイコンを1から作るのは、ちょっと大変です。1から全部作るのは避け、日本橋で既成のマイコン用プリント基板と、それ用の部品を買い、組み立ててみました。

あっさり組みあがり(写真左と右)、「で、どうしよう。」


初歩的なテストプログラムは書いたのですが、機械語に直すためのアセンブラは無いし、それをROMに書きこむためのロムライターも無いし、hi,hi.

(この時点で、何が必要なのかは、ようやくわかっていました。hi,hi.)

<私のプログラムが動いた!>

ここに救いの神が現れました。職場に、一昔前のボードマイコン(16進のキーボードを搭載した、基板むき出しのコンピューター)を骨までしゃぶった達人がいたのです。

アッセンブラーは不要、頭でプログラムを機械語に翻訳できる、恐るべき能力の持ち主です。

この名人が、世にも奇妙な方法を提案してくれました。

メモリーICにリチウム電池を背負わせて電源のピンにつなぎ、これにプログラムを書きこもうというのです(左は再現写真)。私のプログラムを、彼の頭の中で機械語にし、彼のボードマイコンで書き込めば、電池がついているので、ソケットから抜いて私のマイコンに移し変える間に、メモリーが蒸発する事は無いだろうというものです。
これは図に当たり、始めて私のプログラムでランプが点滅しました。これが私のマイコン制御のブレークスルーになりました。

様子がわかったので、やおらロムライター、ボードマイコンをキットで作成し、遊ぶ準備を整えました。
(やる事が、全く逆。hi,hi。)

                             

              ロムライター(手前)と消去器          Z80ボードマイコン

えっ? ロムライターの後ろにこっそり写っているのは、クッキーの缶じゃないかって? そうなんです。クッキー缶の中に、消去したいROMを入れて、中に取りつけた紫外線ランプで、消すんです、hi。
買うと高いもので・・・・、hi,hi.
この缶は、内部で良く光が反射して、特に上蓋はパラボラのようで、とても具合がいいんですから。hi,hi.

ボードマイコンに付属していたアッセンブラーと、ロムライターに付属していた書きこみソフトで、ようやくパソコンを利用して開発が出来るようになりました。

<マイコン、あれこれ>

これで、周波数のアップダウンカウンター、16進←→10進変換、LED表示器の駆動、LCD表示器の駆動などなど、色々なプログラムを作りました。
マイコンも、あれこれと作成しました。

どうして我ながら、こうして「作る」方に走るんでしょうねぇ、hi,hi.

             

                           

左のようなマイコンを使って、エレキーの製作もやりました。何せ、そのマイコンは、日本橋でわずか600円で売られていたのです。hi,hi。

これでエレキーが出来上がった時は、そのローコストぶりに思わず笑ってしまいました。その上、マイコンを使うと、複製を作る事が何と簡単な事でしょう!


殆どの事はソフトで実現するので、使うのは頭。やり変えてもソフトを書きかえれば良いので、材料が要らないしゴミも出ません。資源の無い日本にコンピューターほど向いているものは無いと思いました。hi,hi.

<ようやくVFOに到達>

このような経緯の後、ロータリーエンコーダーの信号をアップダウンカウンターに取りこむ、つまり、ダイヤルをくるくる回すと周波数が変えられるコントローラーを作り、テストオシレーター代わりの周波数シンセサイザー(写真下)にまとめました。

周波数を変えるのは、バリコンにギアダイヤルかバーニアダイヤルと思っていた私の、転換期となりました。
hi,hi.

                  

シンセサイザーユニット本体は、キットを使っており、その周波数設定をマイコンでやっています。

これが冒頭に書いたVFOのマイコン制御を実現するための準備の総仕上げとなり、長い長い寄り道が終わりました。
この後作った60MHzのVFOは、送信機編でご紹介した通りです。

元は、シンセサイザーの信号を、PLLで10逓倍したのですが、見事に失敗しました。シンセサイザーのメーカーに電話で文句を言う一幕他、ケッサク話もありましたが、考えを改め(hi,hi)、PLLとシンセサイザーをループにしてすっきりしたものが出来あがりました。

思い立ってからおよそ10年が経っていました。hi,hi。
少年老い易く、学成り難し。  hi,hi.

寄り道にしては、ちょっと長かったですね。何にでも興味を持つ好奇心と、凝り性の結果です。hi,hi。

<PICマイコンへ>

シンガポールで知ったPICマイコンは、この寄り道の延長線でした。何せ、小さくて、しかも驚くほど安い。1個1000円以下でかなりの性能が期待でき、オールインワン、アッセンブラーもロハで提供されていますから、使わないと損をする気分です。
9V1ZK Fred氏に、「PICを使うのは簡単だ」といわれた言葉を頼りに、結局エレキーの寄り道にまた入ってしまいました。hi,hi。

PICマイコンのこれまでの用途は、種々エレキー、周波数カウンター(これには、他の人のソフトを使いました)、測定器の自動スイッチ押し器(何じゃ、そりゃ)、灯籠の、LEDランプ自動点灯用タイマー(?)といった所です。何分安価なので、私でも全く気軽に使う事が出来ます。hi,hi。
マイコンも、どんどん進化しますね。

40の手習いで始めたマイコンですが、いつのまにか50の手習い、60の手習いになってしまいました。どこまでついていけるかが、問題です。hi,hi。



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