エレキーの昔話

赴任先のシンガポールで2つ目のエレキーを製作し、ケースに入れました。タバコほどのサイズで、以前にPK-3という米国製の専用ICを使って作ったものと、外観は殆ど同じです。但し今度はプログラムを自分で作ってPICマイコンに搭載し、またエレバグキー(後述)のモードも持っています。

今度のはメッセージメモリーも搭載し、まるで自分の子供のようです、hi,hi.

しかし、これまでに作ったエレキーは、かれこれ10個に近く、一体ワシは何をやっているんだろうという気にもなります。思い起こしてみれば、古い話です。今までにどんなエレキーを作ったんだったろうか?オールドタイマーの昔話に、少しばかりお付き合いのほど。

1号機

あれは’68年、高校2年の頃でした。月に1000円あったか無かったかの小遣いで部品を買い、CQ誌の製作記事を見ながらトランジスタを2個と、リレーを使ったエレキーを作りました。パドルなんて高くてとても買えず、金切りのこの刃を2枚貼り合わせてパドルも作りました。

うまく動いたので、しきりに遊びましたが、電信が下手だったので、それで波は出しませんでした。

2号機

実際に電信でQSOするようになってからの事です。1号機の信号は、スペースが極端に短く、ツーツーツーと打ったら、ツールールーと符号が出て、実用には難しいと知りました。(しかし、スピードの速い人には、ちょうど良いスペースであることも同時に知りました。)

’70年ごろ、友達がデジタルICを2個、トランジスタを2個使った、論理的に正確な信号が出せるエレキーの回路をくれたので、初めてICを使って、これを製作しました。パドルとケースは、1号機のものを流用しました。まだゲルマニウムトランジスターを併用していました。抜群に行儀の良い信号が出るので、感動しました。

しかし使っているうちに、しばしば短点が1個少ない信号が出るので、閉口しました。2号機は長い間の冬眠の末、シンガポールまでついて来ました。

2号機蛇足

2号機はDTLのICを2個使ったものだったのですが、消費電流はバカにならず、電池ではなく外部電源で使用していました。外部電源は実験用のもので、スイッチ切替えで15V以下のレンジと25V以下のレンジに切りかえることが出来ました。電源電圧は5Vですがある時、間違ってトランシーバーへの供給圧12Vをかけてしまい・・・、”あっ” と思ったのですが既に遅し。ところが意外にも、12Vでも動作することを発見しました。(絶対に真似しないで下さい)

ある日、友達に電源装置の説明をし、25Vレンジに切替えて電圧を上へ上げたら、どこかで「キュー」と言う音がしました。しまった!エレキーの電源スイッチを入れていた!(出力がオンになり、モニターの音が出た。電圧を変更の途中だったので、音の周波数がひゅーっと変化したらしい。)

電源電圧を下げてエレキーの動作を確かめたのですが、すでに動かなくなっていました。泣く泣くICを買いに(あの頃は高かった)行き、入れ替えたら動くようになって、それでしばらく使っていました。

しかしつぶれたICが、捨てるにくやしく、どの部分が壊れたのか、テスターで動作をひとつひとつ確認しました。すると、2個のうち1個、フリップフロップは壊れておらず、ゲートICの、4回路入っている1個だけ出力がショート状態である事がわかりました。壊れた回路に繋がっているICピンをニッパーで切り取り、もう一度これらのICを基板に戻したら、何と、動作するではありませんか!

そんなアホな! 目の前の状況は、真空管を1本抜いたラジオが鳴っているような(当時の心境です)信じられない事です。組み立て前に、回路の動作原理をよーく理解して取り掛かったのに。

(写真は2号機の基板。左のICの手前右から2本目から4本目まで、足がちょん切られているのがわかるでしょうか?)もう一度回路図を取り出し、切り飛ばした部分をにらみ、よーく考えると、元の回路と少し異なる原理で動作する事に気がつきました。

しかし、こんな偶然があるでしょうか?しばし開いた口がふさがりませんでした。この2号機の基板は、足を3本切り取ったICを乗せたまま、今も眠っています。

3号機

2号機の短点が足りなくなる現象は、短点メモリーが無い事が原因と思い当たり、長短点メモリーつきのキーヤーを作成しました。
74年、大学の4年になっていました。大学の工作センターでアクリルを加工し、ケースをひねっても影響を受けない、しっかりしたパドルを製作しました。

動作は満足の行くものでしたが、送信機からのインターフェアを受けて誤動作することがあったため、ケース内のそこらじゅうにパスコンをつけまくりました。これは大変に実用的で、ずいぶん使いました。

TS520にアップバータをつけて、50メガから430メガまで出ました。 


4号機

81年、米国でメッセージがメモリーできるキーヤーのキットを見つけ、米国みやげ代わりに製作しました。
キットの部品が足りなかったり、間違って高電圧をかけて壊してしまったり、さんざの目に会いましたが、出来あがりは大変にスマートで高機能。メーカーの実力に脱帽でした。因みにヒースキットで、当時のお金で3万円相当の米ドルを払いました。思えば、円安の時代でした。

5号機

バグキーを打ちたかったのですが、腕が伴わず。ある時、エレキーで手動の長点を出し、その後の符号とのスペースを自動調整すれば、きれいな信号が出せることを思いつき、早速実験開始、3号機にボードを付け足して、自称「エレバグキー」を完成させました。喜んで使いました。86年でした。


6号機

この頃、CMOSのICを多数使ったVFOなどを作り、消費電力の少なさが気に入っていました。CMOSは送信機のインターフェアーも入りにくいとの情報もあり、電池で運用できるようにしたい、またかなりはやってきていたアイアンビックキーヤー(スクイズキー)にもしたい、などのニーズ(誰の?)にも応えて、一念発起、1枚基板、CMOS、電池内臓、スクイズキーもついたエレバグキーを設計し、完成させました。

これで気分良くエレバグモードの和文QSOをやりました。これはかなり気に入り、87年のCQ誌に投稿し、掲載されました。ところが、回路図とパターン図の両方にミスプリがあり、多数問い合わせを受けました。不動作の実物も送られてきました。当時小型と思ったその作品は、今にち改めて見てみると、IC706より少し小さいだけです、hi,hi。

7号機

ある時期、ようやく私も機器への組み込み用マイクロコンピューターが使えるようになり、色々の製作をやりました。
ある時、日本橋で600円のマイコンボードが売られているのを見て、早速購入しました。600円のコンピューターなんて、私には考えられませんでした。

ところが、こんな簡単なものでもエレキーが作れることを思いつき、早速例のエレバグキー(もちろん、普通のエレキーのモードもある)をやってみました。大成功。

気分を良くして、またCQ誌に投稿しました。96年のCQ誌に掲載され、プログラムや、焼付け済みのROMの提供要請が入りました。


8号機

シンガポールで9V1KJ工藤さんに貸してもらって読んだ2000年のCQ誌に、PK-3という超小型のエレキーICの記事が載っており、米国のメーカーから買ってボードに組み付けました。

一方、9V1JA生沼OMに、PK-4ポケットキーヤーなる物を見せてもらい、超小型キーヤーへの電池ホルダーの組み込み、ボードに取り付けたスイッチの頭をケースの外に突き出すやり方など、ヒントをもらいました。

大阪に帰ったときにタバコ大のケースを買い(詰め込めるかどうか自信が無かったけれど)、シンガポールへ戻って、組み込みました。きっちりの大きさでした。6号機と並べてみて、大幅なダウンサイジングに恐れ入りました。しかし、エレバグモードが無いのが、不満でした。

この頃、実験用等に持ち運びの簡単なパドルが欲しくなり、手のひらに乗る簡易パドルを1個作りました。シンガポールに持ち込んでいた2号機、5号機から、のこぎりの刃やアクリルを取り出して、これに使いました。2号機は分解となりましたが、30年振りに部品が再利用されました。5号機は、残った部品で抜き出した部分を代替して、再度組み立てました。

9号機

2000年になり、私もPICマイコンが少し使えるようになりました。最初に作ったものが、LEDをネオンのように点滅させる実験ボードで、日本人ハム仲間のアイボールQSOの時皆さんに見せたら、ばかばかしさに大笑いされました。PICは容量が小さいですが、何と言ってもその小ささと、安さ(1個百円台円からある)は大きな魅力です。また、省電力です。

これに7号機のソフトを移植してエレバグキーを作りましたが、スピード設定は、まだスイッチでしか出来ませんでした。ローカルハムの9V1ZK、Fredさんが、ADコンバータが無くても、アナログの抵抗値を測定することが出来るというアドバイスをくれ、早速教えてもらいました。その技法を用いてPIC版のエレバグキーの実験を重ね、出来あがりました。何と、キーヤーの中で、掛け算やら割り算までやっています。メッセージメモリーもあります。

Fredさんがこのキーヤーを気に入り、回路図を清書してくれたり、基板を設計したり、とうとう出来たての基板5枚を気前良くゆずってくれました。例によって、タバコサイズのケースに組み込んで、完成です。こんな変り種は世界にまず1台しかないと、自己満足。hi,hi。

あー、ここまでで既に9台でした。いままだ残っているのは、4号機以降です。8号機、9号機は手放してしまい、2号機はボードだけになりましたが、今も部屋で眠っています。このうち、モニター発信機は、1968年の1号機のものです。私も、物持ちがいいですね。

あとがき

エレバグキーは上記が第4番目で、言わば4型です。その後これは9A型まで進化し、メモリーは大容量で4チャンネル→6チャンネル→8チャンネル→12チャンネルへと増強、エレバグモードのメッセージメモリーや自動CQなどなど、当時目標にするには目がくらんだであろうと思うところにまでやって来てしまいました。hi,hi.

このあたりで終わりか、まだまだ行くか、私にも判りません、hi,hi.




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