エレキーの昔話

最初のエレキーを作ったのは、開局3年目の頃です。
バグキーを作るのは難易度が高いが、エレキーはそれほどではなく、ローコストで済む、という話を読んだのがきっかけです。
その後、延々と何十年。^^;)

今までにどんなエレキーを作ったんだったろうか?オールドタイマーの昔話に、少しばかりお付き合いのほど。

1号機

あれは’68年、高校2年の頃でした。月に1000円あったか無かったかの小遣いで部品を買い、CQ誌の製作記事を見ながらトランジスタを2個と、リレーを使ったエレキーを作りました。パドルなんて高くてとても買えず、金切りのこの刃を2枚貼り合わせてパドルも作りました。

うまく動いたので、しきりに遊びましたが、電信が下手だったので、それで波は出しませんでした。

2号機

実際に電信でQSOするようになってからの事です。1号機の信号は、スペースが極端に短く、ツーツーツーと打ったら、ツールールーと符号が出て、実用には難しいと知りました。(しかし、スピードの速い人には、ちょうど良いスペースであることも同時に知りました。)

’70年ごろ、友人がデジタルICを2個、トランジスタを2個使った、論理的に正確な信号が出せるエレキーの回路をくれたので、初めてICを使って、これを製作しました。パドルとケースは、1号機のものを流用しました。まだゲルマニウムトランジスターを併用していました。抜群に行儀の良い信号が出るので、感動しました。

しかし使っているうちに、しばしば短点が1個少ない信号が出るので、閉口しました。

2号機蛇足

2号機はDTLのICを2個使ったものだったのですが、消費電流はバカにならず、電池ではなく外部電源で使用していました。外部電源は実験用のもので、スイッチ切替えで15V以下のレンジと25V以下のレンジに切りかえることが出来ました。電源電圧は5Vですがある時、間違ってトランシーバーへの供給圧12Vをかけてしまい・・・、”あっ” と思ったのですが既に遅し。ところが意外にも、12Vでも動作することを発見しました。(絶対に真似しないで下さい)

ある日、友人に電源装置の説明をし、25Vレンジに切替えて電圧を上へ上げたら、どこかで「キュー」と言う音がしました。しまった!エレキーの電源スイッチを入れていた!(出力がオンになり、モニターの音が出た。電圧を変更の途中だったので、音の周波数がひゅーっと変化したらしい。)

電源電圧を下げてエレキーの動作を確かめたのですが、すでに動かなくなっていました。泣く泣くICを買いに(あの頃は高かった)行き、入れ替えたら動くようになって、それでしばらく使っていました。

しかしつぶれたICが、捨てるにくやしく、どの部分が壊れたのか、テスターで動作をひとつひとつ確認しました。すると、2個のうち1個、フリップフロップは壊れておらず、ゲートICの、4回路入っている1個だけ出力がショート状態である事がわかりました。壊れた回路に繋がっているICピンをニッパーで切り取り、もう一度これらのICを基板に戻したら、何と、動作するではありませんか!

そんなアホな! 目の前の状況は、真空管を1本抜いたラジオが鳴っているような(当時の心境です)信じられない事です。組み立て前に、回路の動作原理をよーく理解して取り掛かったのに。

(右の写真は2号機の基板。左のICの手前右から2本目から4本目まで、足がちょん切られているのがわかるでしょうか?)もう一度回路図を取り出し、切り飛ばした部分をにらみ、よーく考えると、元の回路と少し異なる原理で動作する事に気がつきました。

しかし、こんな偶然があるでしょうか?しばし開いた口がふさがりませんでした。この2号機の基板は、足を3本切り取ったICを乗せたまま、今も眠っています。

3号機

2号機の短点が足りなくなる現象は、短点メモリーが無い事が原因と思い当たり、長短点メモリーつきのキーヤーを作成しました。
74年、大学の4年になっていました。大学の工作センターでアクリルを加工し、ケースをひねっても影響を受けない、しっかりしたパドルを製作しました。

動作は満足の行くものでしたが、送信機からのインターフェアを受けて誤動作することがあったため、ケース内のそこらじゅうにパスコンをつけまくりました。これは大変に実用的で、ずいぶん使いました。

TS520にアップバータをつけて、50メガから430メガまで出ました。 


4号機

81年、米国でメッセージがメモリーできるキーヤーのキットを見つけ、米国みやげ代わりに製作しました。
キットの部品が足りなかったり、間違って高電圧をかけて壊してしまったり、さんざの目に会いましたが、出来あがりは大変にスマートで高機能。右の写真です。
多チャンネルのメッセージメモリー。速度はキーパッドから入力。タッチ式パドルを格納し、取付ければ即利用出来ます。練習用の不規則文字出力まであります。
メーカーの実力に脱帽でした。因みにヒースキットで、当時のお金で3万円相当の米ドルを払いました。思えば、円安の時代でした。



エレバグキーへ

5号機以降は、エレバグキーへの取り組みになっていきます。多数のキーヤーを製作しました。



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